音楽評論家 大伴良則の音楽のまんよう

ジョージのRellowな世界 ② :George Harrison (ジョージ・ハリスン)

2013.08.25

(前回から続く)



 「いやぁー、ジョージ・ハリスンは地味な男やったぁ。居るのか居ないのか判らんメンバーだったな。他のメンバーの個性が強過ぎたのかも知んないね」





 2009年のある夜。高校の同級生、といっても、そのほとんどが幼ない時から同じ小学校で馴染んだ同郷の男ども数人の酒席。

その内のひとりが還暦引退後に開いた店に集まると、必ずビートルズの話が一度は出る。

その夜も、ビートルズ通というよりビートルズ狂の二人が出席していて、たまたまその二人が、8年前の12月、FMの生放送のコーナーで、ジョージの追悼特集をやっていた僕の選曲や喋りを聴いていて、それについて、僕に尋ねたり批評したりしていたのだ。

それを聞いていた他の男が、前述の“地味な男”ジョージ評を、多少偉そうに・・・僕に言わせると、訳知り親父の聞いた風なセリフを発したのである。

これに、少なからずカチンときてしまった。

 ビートルズ狂の二人は、“他にも選ぶ曲があっただろう”と多少僕をなじり、アルバム『アビー・ロード』の中の「ヒア・カム・ザ・サン」「サムシング」、『オール・シングス・マスト・パス』から生まれた全米No.1曲「マイ・スイート・ロード」、ジョージが初めて本格的にインド楽器シタールを導入した「ウイジン・ユー・ウイズアウト・ユー」(『サージャント・ペパーズ』中)等、世間的にとても評価の高いジョージの名曲を挙げ、“どうしてそういう曲を選ばないのか?”と問う。

 “馬鹿言ってんじゃないよ”と僕は胸の中で反論した。

僕が選んだのは、ビートルズ末期の2枚組『ホワイト・アルバム』の中の「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウイープス」と、その曲のゲストで見事なリード・ギターを弾いているエリック・クラプトンのバンド、クリームにジョージが客演した「バッジ」。

つまり、ジョージの最初の奥さんパティ・ボイドに惚れて、離婚後のパティと結婚したエリック・・・普通なら、ひとりの女をめぐっての三角関係なのに、その渦中で、当時のロックの明日を告げるようなブルース・ロックの名曲名演を生んだ“親友”にだけ話をしぼって構成しようと思ったのである。