音楽評論家 大伴良則の音楽のまんよう

Fame. その27

2017.12.17

 (前回から続く)

 子供の頃は、地方の街に育った為か、エレベーターに乗った事がなかった。

大きな病院には、入院患者を運ぶものが既にあったらしいが、学校や市役所や郵便局などには、まだそんな文明の機器はなく、ひたすら階段を昇り降りしていた。

東京に出てきて久しく、脚腰の衰えを気にする歳になって、少しは予防しなきゃと、意識して階段を使う事もあるが、さすがに3階か4階が限度で、21階までノンストップ超特急なんてのがあると、初めて遊園地に行った子供のように乗ってしまう。

 あまりに速いスピードのものや、外の景色が見えるガラス製のエレベーターに乗ると、そこは昭和中期以前の児童で、少し恐怖感がある。

そして、そんな時、必ず頭の中で、マイルス・デイヴィスのミュートしたトランペットの音が鳴るのである…なんて事を言うと、五木寛之の小説に出てくるジャズ好きの青年のようだが、そんな格好き者(かくすきもの)ではない。

単に、映画館に入り込んで勉強をサボッていた少年のなれの果て。報いというか後遺症だろう。

 まだアンダーグラウンドな存在だったマイルス・デイヴィスを一躍有名にしたのは、ルイ・マル監督が1958年に撮った『死刑台のエレベーター/Acenseur pour L'échanfaud』である。

ルイ・マルは、撮影に入る2年前から映画の準備に入ったらしいが、それは、当時、映画音楽にジャズを使うなんて誰も思いつかなかったアイデアを念入りに実現する為に、アメリカからマイルスを呼び、地元フランスのバルネ・ウィラン(Barney Wilen:サックス)など、新進気鋭のジャズ・マンを配してのセッションを、念入りに観察したい…という念には念を入れての制作だったからだ。