音楽評論家 大伴良則の音楽のまんよう

Fame. その13

2016.10.27

 (前回から続く)

 映画『地球に落ちて来た男』には様々な思い出があって、1970年代の、ロックやポップスに限らず話題がその時代の色んな事になると、まるでインスピレーションのスイッチ・オンの役目を持ったものになっている。

       

 小さな映画館ばかりだったが、一応公開されたのは'75年で、公開前に配給会社の試写会があった。

FM誌の取材記者/レビュアーを始めてまだ一年余の僕などに招待なんか来るはずはないが、その雑誌の編集長が、僕と、知人のイラストレーターとが、編集部の部屋で「ボウイって、本当にもうライヴをやらないのかなあ…」なんて話をしていたのを覚えていて「お前達ふたりで、試写会に行ってこい。面白かったら、記事にする企画をたてなさい」と言って手配してくれたので、運良く試写室にもぐりこむ事ができた。

実はその'75年に、ボウイは、ライヴ・ステージからの引退を正式表明していた。

その2年前の'73年にも、ボウイを有名にしたあのグラム・キャラクター“ジギー・スターダスト”を完全に封印し、ライヴ・ステージからの引退を表明していたので、2度目のライヴ引退宣言である。

アルバム『ヤング・アメリカンズ』('75年)の斬新なホワイト・ソウル・ミュージックのライヴを是非観たいと思っていたので、せめて映画の中のボウイを観たいと、京橋のビルの中の配給会社の試写室に駆けつけた。

 一緒に行ったイラストレーターの渋谷クンは、渋谷百軒店にあったロック喫茶の顔なじみだったひとつ歳下の男だが、ブルース・ロックの愛好家で自らギターも弾く才人。

僕がつれていったFM誌でイラストやカットを描き、時たまブルース・ロック・バンドのジャケットも手がけていた。

後に、あの伝説の『New Music Magazine』の表紙イラストやアート・ディレクターを務めていた。

僕とはかなり趣味嗜好が違う人だったが、ソウル・ミュージック全般とボウイだけは一致している珍しい友人だった。

そんな渋谷クンが、異星から落ちてきた男、つまり映画中のボウイの両眼が、地球上の色々な物に強く反応するとギラッと光り、強く反応すると暗闇の中の猫の眼球のように変わるのをもの凄く喜び、「わおー、猫眼だ、猫眼だあー」と小声ながらも騒いだものだから、狭い試写室内の映画評論家や著名記者の方々から「少し静かにしろ!」「お前たち、うるさいぞ!」と怒鳴られた。

おかげで、アルバム『ステイション・トウ・ステイション』のジャケットに使われている映画中の一シーンのボウイの写真を見ると、試写室内の諸先生方の怒りの顔と声、そして、渋谷クンの驚いた表情と声、その後一ヶ月位続けていた猫眼の顔真似を思い出してしまう。