音楽評論家 大伴良則の音楽のまんよう

Fame. その12

2016.10.07

 (前回から続く)

 ボウイが、70歳代に達する前に亡くなってしまった事が、この頃、やっと実感として胸の底に浮かんできた。

僕も、ほんの少しすれば、彼の享年に達する、といったある種の同世代感ももちろんあるが、それより、70歳を超えたボウイが、どんな老俳優、老シンガーとしての姿を見せてくれるのか…そんな事ばかり想像していたからだ。

78歳位になって、若いヴィジュアル系ロック・バンドがリハーサルをやっているスタジオに、杖か車椅子の助けを借りながら入って来る伝説の老プロデューサー、それでも銀髪は往年そのままに美しく整え、眼光は鋭く、じっとバンド・メンバーひとりひとりを観察している役、なんて老年のボウイにはぴったり、なんて想像を何度もしたものだった。

2000年代に入ったばかりの頃、最近のプロモーション・ビデオ制作で有名になった若手プロデューサーが、伝説の老プロデューサーそのものの実在版フィル・スペクター(Phil Spector)の伝記映画を作る計画をたてた時、フィルの役にデヴィッド・ボウイを、と打診したらしいが、ボウイは断ったという。

1960年代初期に、ロネッツの「ビー・マイ・ベイビー」に代表されるヒット曲を数多く生み出したスペクターは、そのロネッツやクリスタルズ等のファンだったビートルズに頼まれ、アルバム『レット・イット・ビー』のミキシングに関わる。

ビートルズのプロデューサーといえば、無名だった若きビートルズのオーディションの審査員だったジョージ・マーティンがあまりにも有名だが、既にメンバー4人の心がバラバラで、バンドとしてまとまった楽曲も作れない状態で、未完成の録音テープを前に途方にくれるマーティンの姿が映画『レット・イット・ビー』完全版の中にチラッと出てくる。

そこで、ジョン・レノンの提案もあり、マーティンは、“スタジオの魔術師”の異名をとった事もあるフィル・スペクターを呼び、編集につぐ編集を重ねて、なんとかアルバムをまとめ上げたのである。