音楽評論家 大伴良則の音楽のまんよう

Fame. その11 [2/2]

 そういえば、世界中を席捲した大ヒット曲「愛のコリーダ」も、クインシーがマイケル・ジャクソンの破格の大ヒット・アルバムを連続してプロデュースし、ディスコやクラブに人をあふれさせたディスコ時代の最後の仇花、と半ば馬鹿にした評を受けた事もあったが、元はというと、イギリスのチャス・ジャンケル(Chas Jankel)というパンク/ニュー・ウェイヴ・ロックの異才のソロ・アルバムに入っていた、知る人ぞ知るマニアックな曲。

イアン・デュリーのバック・バンド、ブロック・ヘッズのギタリストだったチャスは、デヴィッド・ボウイに、ギタリストのカルロス・アロマーを紹介した人物でもある。

 カルロスは、70年代半ばから80年代を通して、ボウイの右腕的存在で、楽曲の共作からアレンジ,バンドのメンバー探しも一緒にやっていた、いわば共同プロデューサーだった。

 そのカルロスに誘われたのかどうか不明だが、後年のボウイのインタビュー記事を観ると「クインシー・ジョーンズのパリ公演をカルロスと一緒に観に行った。前半は、クインシーの50年代から60年代のジャズ・オーケストラの懐かしい曲…昔、テレビでしか観られなかった『鬼警部アイアンサイド』の中の曲とかで…後半は、クインシーが、マイケル・ジャクソンを超一流に仕上げて以降のファンキーでソウルフルな曲。長編の映画を観ているようだったよ」と語っている。

 それを読んでから、改めてクインシーの『愛のコリーダ』を聴いてみると、ニューヨークやシカゴやロンドンのディスコ&クラブを舞台にした、複雑な人間模様を描いた映画かドラマのようだ、という気持ちにもなる。

 ヒット曲を集めたかつてのコンピレーション・アルバム・シリーズの名作に『僕たちの洋楽ヒット』というのがあるが、その『Vol.12~1980-81』の最後の曲がクインシーの「愛のコリーダ」で、その『Vol.15~1983-84』の最初の曲がボウイの「レッツ・ダンス」だ。

この2枚のヒット曲集アルバムを続けて聴き、その2年間余りのボウイの心境をあれこれ想像している。

これもトゥーツ・シールマンスの「ヴェラス」の残した新しいインスピレーションである。(次回へ続く)