音楽評論家 大伴良則の音楽のまんよう

Fame. その10

2016.09.10

 (前回から続く)

 今年(2016年)1月10日にデヴィッド・ボウイ死亡の報が世界中に流れた時、アメリカのフロリダ州マイアミの自宅で一年6ヶ月に渡って闘病生活をおくっていた事を初めて知った。

その時、最初に頭の中に流れた曲が、パット・メセニー・グループと共演した映画『コードネームはファルコン(The Falcon & The Snowman)』の中の「ジス・イズ・ノット・アメリカ」であり、「レッツ・ダンス」でも「チャイナ・ガール」でも「ジギー・スターダスト」でもなかった事に自分でも少し驚いた。

ボウイがロンドン南部の生まれで、ブライアン・イーノと共作する為に長くベルリンに住んだり、デンマークやベルギーに滞在したり、つまり、自分が興味を持った事やアーティストがいれば、その対象の本拠に行って生活してしまうという行動派異邦人ヨーロッパ型のイメージを僕が勝手に持っていたからだろう。

だから、いくらハリウッドという映画の町があっても、重病であっても、ロックの巨大なマーケットであっても、アメリカ合衆国は、どこかボウイに似合わない、と思いこんでいたのだと思う。