音楽評論家 大伴良則の音楽のまんよう

Fame. その10 [2/2]

 しかし、ボウイが、『コードネームはファルコン』の為の音楽を制作中のパット・メセニーを訪ね、突然、作詞をかって出て、メイン・テーマのメロディーを半ば強引に歌った…そして、そのタイトルが「ジス・イズ・ノット・アメリカ」という皮肉と警告に満ちたアメリカへの愛憎ソングになっている事を改めて思い出した。

前回でも述べたが、『コードネームはファルコン』のジョン・シュレジンジャー監督の、映像はもちろん、音楽の選択センスにボウイがかなり惹かれていた事は事実で、シュレジンジャー監督を一躍有名にした、そして、主演のひとりダスティ・ホフマンも有名にした『真夜中のカウボーイ』('68年)で、当時まだあまり知られていなかったジャズ&ポップのハーモニカ奏者トゥーツ・シールマンス(Toots Thielemans)の演奏を大きくフィーチャーし、同じくまだ無名に近い存在だったシンガー&コンポーザーの異端児ニルソン(Nilsson)の「噂の男(Everybody's Talkin')」を主題曲に使うという“適格なチャレンジャー精神”といったものに、ボウイは感服していたのではないか、と想像できる。

ボウイ自身が、シュレジンジャー監督について語った事は、僕の不勉強かもしれないが、ほとんど知られていない。

だが、ボウイの息子で、映画監督のダンカン・ジョーンズが、数少ないインタビューの中で、「シュレジンジャー監督に憧れて映画を撮るようになった」と言葉少なく、しかし能弁に、父デヴィッド・ボウイを経由してシュレジンジャー監督の作品やセンスに触れ、しだいに傾頭していった事を語っていたが、ボウイ自身が同監督と同じ波長のヴァイブレーションを感じていたのだろう。

 そんな訳で、リオデジャネイロ五輪の報道ばかり観ていないで、久しぶりに、パット・メセニー・グループの“映像の無い映画音楽”のような傑作アルバム『Offramp』('83年)を聴こう、それから、トゥーツ・シールマンスのアルバムも聴こう、と考えていたら、8月22日の深夜、テレビのニュースで短くトゥーツが亡くなった報道があった。

ベルギーのブリュッセル生まれでアメリカに渡り、クインシー・ジョーンズを始め数多くのアーティストとも共演し、ハーモニカがこんなにクリエイティヴな楽器だったのか、と教えてくれた才人。

ボウイがまだ生きていたら、トゥーツについて何とコメントしただろうか?(次回へ続く)