音楽評論家 大伴良則の音楽のまんよう

Fame. その6

2016.07.13

 (前回から続く)

 ボウイが69歳の若さ、あるいは相応の年齢で亡くなってしまった事が、まだ実感として受け取れない内に、ボウイとは直接縁が無いものの、互いに意識せざるを得ない関係にあったアーティストが次々にこの世を去り、違った意味での実感がわいてきた。

その代表は、4月22日に突然、スタジオ内のエレベーターの中で亡くなったプリンス。

1980年代に、ミネソタ州ミネアポリスから突如あらわれ、ファンク/R&B/ロックを下地にしながらも、ボウイの洗礼を受けたかのようなヴィジュアル系、映像系の実験的なアプローチをどんどん実行した異才だった。

 ボウイとプリンスとの遠くて近い音楽的関係については後日また述べるとして、今回は別の因縁めいた著名人の死について記そうと思う。

ボウイの死から約半年後の2016年6月3日、アリゾナ州の病院で死去したモハメド・アリの事である。



僕が高校一年生だった1964年は、10月に開催された東京オリンピックが世間の最大の関心事だったが、僕にとっては、ローマ五輪のライトヘビー級の金メダリストのボクサー、カシアス・クレイが、プロに転向し、当時不敗のチャンピオン、ソニー・リストンをあっけなく敗ってしまった試合が同じ位の関心事だった。

多分、秀れたスポーツ・ジャーナリストのひらめきが生んだキャッチコピーだったのだろうが“チョウのように舞い、ハチのように刺す”という彼のワイルドにして美しいボクシング・スタイルへの評が世界中をかけ巡ったのはこの時。

せっかくカシアス・クレイという名が広まった2年後に、過激な黒人指導者マルコムXに心酔し、イスラム教に改宗、名前をモハメド・アリに改めたのも、高校生の僕にはかっこ良く映った。

実は、ボウイのライヴ・パフォーマンスを初めて観た時、“チョウのように舞い、ハチのように刺す”というコピーが頭に浮かんだ経験を持つ。

ボウイがアリに興味を持っていたのかどうか、話題になった事すらないが、ワイルドにして優雅なボウイの動きが、遇然、アリのボクシングを思い出させたのだろう。