音楽評論家 大伴良則の音楽のまんよう

存在の耐えられない重さ2 :Superheavy (ミック・ジャガー 前半) [3/6]

それでは、フロントマンであるミック・ジャガーの歌声イコール・ローリング・ストーンズなのか、というと、これは多くの古くからのストーンズ・ファンがこぞって言う通り、僕も、そうではない、と思う。

ミックが居なければストーンズは成立しないが、ミックはストーンズの全てではない…この辺りがバンドの複雑で難しいところ。

ミックの凄いところは、自身がビーフ・シチューのビーフである事を百も承知しているのに、ビーフでシチューの全てが決まる訳ではない事も熟知しているところだろう。

これは、ミックが、ローリング・ストーンズの創始者ではなく、今は亡きブライアン・ジョーンズが創るバンドに入れてくれ、と頼みこんで参加し、それがストーンズの母体になった、といういきさつと無関係ではない。

ミックとほぼ同じ歳のブライアンは、麻薬に溺れて、'69年7月、プールの底に沈んだ姿で死んでいるのを発見されたオリジナル・メンバー、というのが一般的な記憶の代表。

だが、60年代の初頭、ロンドンのブルース・シーンでは若きエリート・ミュージシャンで、まだ何も出来ないミックとキースは、ブライアンがステージに立つ日は必ずクラブに駆けつけ、かぶりつきで、彼のスライド・ギターのプレイに見入っていた。

'62年7月、ブルースに精通しているブライアンが、尊敬するブルース・マン、マディ・ウォーターズ'50年の作品「Rollin' Stone(ローリン・ストーン:ローリング・ストーンではない)」から命名したバンドに、ミックとキースは追しかけ参加し、その後のストーンズの母体が生まれる…

この時、ロンドンのマーキー・クラブに出演したそのバンドは、ローリン・ストーンズ。

 ローリン・ストーンズがローリング・ストーンズに変わっていき、マネージャーも見つけ、レコード会社への売りこみも成功し、チャンスを確実に把み、しだいに大きな存在になっていく記録や過程は、これまで世に数多く報道されていて、主にミック・ジャガーの、会計士を目指していた経営感覚と商才、リーダーシップがその原動力になった、という説が有力だ。

ミックのドラスティックで非情な経営者的一面は、よくスキャンダラスに報じられてきたが、本当にそれだけなのだろうか?

Superheavyでの一(いち)ヴォーカリストとしての身の律し方を聴いていると、ミックが歳を重ね、ただ性格が丸くなっただけ、とは思えないものも感じるのだが、それは後半で…。