音楽評論家 大伴良則の音楽のまんよう

存在の耐えられない重さ4 :Superheavy (A.R.ラフマーン)

2012.01.28

 Superheavy(スーパーヘヴィ)のアルバムは、同名のタイトル曲で開幕するが、そのタイトル曲は、A.R.ラフマーン(Allah Rakka Rahman)によるオーケストレーションで始まる。

ミック・ジャガーが、若手の精鋭と組んで、個人的な趣味性の強いレゲエ・バンドを一時的に始めた、という情報しかなかった昨年(2011年)初夏の段階では、このA.R.ラフマーンが最後のメンバーとして参加した事実に、特別に注意をはらう人はいなかっただろう。

僕も、ミックやジョス・ストーンに目が行っていて、アルバムが世にあらわれるまで、ラフマーンの存在にほとんど気づいていなかった。


 しかし、タイトル曲「スーパーヘヴィ」のイントロの、インド的な、厳密にいうと、インド・タミル地方的な音階の特徴がはっきりとあらわれたストリングス・アレンジを聴いてハッとして、かろうじて覚えていたA.R.ラフマーンという作曲家/アーティストの名前を思い出したような始末である。

 考えてみれば、彼は、1995年のインド映画『Muthu(ムトゥ~踊るマハラジャ)』を始めとする一連の、いわゆる“マハラジャ・ムーヴィー”で、世界中から注目を集めた画期的なインド人ミュージシャンだった。

大量生産で作品を次々に製作し、必ず70年代後半から80年代にかけてのディスコ・サウンドに通じる所の多い音楽が映画を彩り、集団ダンス・シーンが必ず盛りこまれる、というマハラジャ映画群の作り方は、昭和30年代日本の社長シリーズや、渡り鳥シリーズ、若大将シリーズのように、親しみと驚きが同居する内容だった。

ムトゥ ~踊るマハラジャ

一番衝撃だったのは、次から次へとくり出されるほどんど同種の映画の大半で、次から次へと音楽を作り出す作曲家の製作能力、というより製作スタミナのようなものだった。