音楽評論家 大伴良則の音楽のまんよう

Sheet Music. その2 [2/3]

このデュオ・グループが初めて来日したのは1980年の初頭で、その少し前('79年)に発表したアルバム『X-Static(モダン・ポップ)』の中の「ウエイト・フォー・ミー」が本国アメリカを始め各国で話題になり始めていた時だ。

それまで、フィラデルフィアやニューヨークのソウル・ミュージックを下地にした白人ソウル・デュオ、というマニアックな人気を得てはいたものの、ややアンダーグラウンドな存在だったふたりが、メジャーに浮上するきっかけになったアルバムを出し、新しいバンド編成で意気揚々と初めての来日ツアーに臨んでいたのである。



 大阪と京都での公演の時の方が時間があるとの事なので、FM誌のグラビアの写真が得られればと、三浦憲治カメラマンを伴なって京都に向かい、ジョンが興味を持っているという清水寺で撮影やインタビューを行なった。

 取材ノートにペンでメモをとる時、プラチナ#3776(正式には、#3776センチュリー・シャルトルブルーロジウム、という名だと最近新聞広告で知った)を使っているのを見たジョンが「ちょっとそのファウンテン・ペンを見せてくれ」と言い、そのプラチナを使って、自分の手帳に何やら書き「随分太い字になるね。でも、いいペンだ」と言う。

「3776というのは、マウント・フジ(富士山)の高さから命名したらしいよ。日本文字を書くのに適したペン先を目指す意図から生まれた名前だって」と答えると「フーン、そうか・・・・じゃあ、その日本文字ペンで、僕らふたりの名前の英文字サインをしてみようか」と言うので、あわててノートの新しい白紙のページを出し、ジョンと、隣であまり興味無さそうに見ていたダリルをうながし、サインをもらった。

ついでに、アルバム『X-Static』の裏ジャケットにもサインをもらおうとしたが、ジャケットの固い紙には万年筆のインクは向かず、三浦カメラマンが撮ったネガの缶にメモをとる時の油性マジックペンで役目をはたした。