音楽評論家 大伴良則の音楽のまんよう

赤き血と情熱の音楽?(その2) [3/3]

 僕は、ソウル・ミュージックをこよなく愛する後輩の音楽ライターを、1992年にエイズで失っているが、そんな事があったにもかかわらず、近年は、エイズという恐しい病の事を考えたり、思い起こしたりする事が稀になっていた。

正直なところ、あのチャリティー・アルバムが日本で発売された昨2014年夏は、流行りの病といえばエボラ出血熱の事であり、マスコミも自身の頭の中も、その初めてではないがあまり耳にしない熱帯生まれの病気でうまっていた。

僕もよく立ち寄る代々木公園周辺の蚊がデング熱の媒介者だと聞き、どうしようと困惑しまくったが、その内、代々木公園は立ち入り禁止となり、その間は多少意識はしていたものの、ニュースが減ってくるにつれ、忘れてしまった。

代々木公園の閉鎖が解かれたニュースは、冬の風が吹き始めた頃、TVでちらっと観たような気もするが、それが何月の事だったのか、もう忘れている。

 世の中の動きが速くなった、とはよく言われるが、ドナ・サマーが「エイズは、ゲイに対する神のお仕置きよ」とインタビューで答えたのがきっかけで、彼女のファンの主力だったゲイのファンを大量に失い、人気急落につながった差別発言事件の事も忘れてしまっていた。

もし、『レッド・ホット+バッハ』を聴かなかったら、ずっと忘れたままでいたかもしれない。

2015年1月に、イギリスから取材でやって来た音楽ジャーナリストの若い人が、第一次世界大戦後のスペイン風邪の大流行の中で亡くなった先祖の話をしていて、まさかペストの大流行にまで話は及ぶまいと思っていたら、カミュの『ペスト』の話となり、文学だけでなく、ヨーロッパの音楽の発展にも、疫病が多大なダメージを与えたと延々演説を続けられた。

早々と花粉症を気にしていた僕は、早く対談を切り上げたかったが、それでも、疫病に対する関心の持続力に、欧米人と日本人との間には大きな差異がある事だけは感じた。

ひょっとしたら、欧米人にとっては、疫病ですら文化の産物やきっかけなのか?そんな嫌な観方はしたくはないが、エイズ禍無くして、あのいつも内容に感心させられるレッド・ホット・シリーズのアルバムは生まれ得なかったのである。

この次、きっと忘れた頃に、また新しい企画アルバムがひょいと現れるのだろう。