音楽評論家 大伴良則の音楽のまんよう

Night In Tunisia(チュニジアの夜)(その5・番外篇)

2022.09.23

 2015年の年明け1月に、フランスの週刊新聞「シャルリー・エブド」が襲われ、風刺漫画家ら12人が死亡した事件をきっかけに、チュニジアはもちろん世界の至る所に、イスラム過激派のテロが及ぶ可能性が生じた。

イスラム国を強引に設立している過激派が、直接テロを実行しないまでも、旧アルカイダや新アルカイダの組織は、中東を中心にいっぱいあり、どこで何が起こっても不思議ではない状況である。

元はというと、風刺漫画家が描いた絵が、イスラム教の神アラーや、預言者ムハンマドをからかい侮辱している、との声明が主にインターネットを通じて発表された事。


 先ず思い出したのは、1989年に、イランの最高指導者で、イスラム原理主義の代表的人物だったホメイニ師が、イギリスの作家サルマン・ラシュディの小説『悪魔の詩』を問題にして、ラシュディに死刑宣告を発した事だ。

すっかり忘れてしまっていたが、その『悪魔の詩』の日本語訳を担当した筑波大学助教授の五十嵐 一が、2年後に刺殺される、という事件もあった。懐かしいといえば懐かしい。


 そのつど、文学や美術や報道の自由、つまり現在 “表現の自由”というスローガンでデモや集会が多々ある反テロの運動は必ず盛り上がるが、しばらくすると風化してしまう。

それ自体が西欧的なエゴイズムで、キリスト教徒や仏教徒は、なんにも変わらない、というのが、イスラム教徒側の持つ印象なのだろう。

イスラム教徒の数は約16億人といわれている。

数の点では、他宗教を圧倒して多く、しかも、その6割以上が、インドネシア等アジアに住んでいると聞くと、仮に、イスラムの人達が “表現の自由” を主張してくれば、ちょっといたずらっぽいポピュラー・ソング等、あっという間に槍玉に上げられてしまうのではないか、とこの頃よく思う。


 『悪魔の詩』がホメイニ師を怒らせていた’89年頃は、日本経済はバブルのさ中で、しかもダウンロード・カルチャーもまだ無く、アナログ・レコードからコンパクト・ディスク(CD)へと音楽レコードの形態が大きく変化する時期でもあった。

CDのもの珍しさと形態の便利さもあり、レコードもオーディオも、とてもよく売れた。

ありがたかった事は、そうしたソフトウェアーの変化が無ければ、日本に紹介される事も無かったであろうマニアックな洋楽アーティストの作品が、かなり上陸した事だった。