音楽評論家 大伴良則の音楽のまんよう

Night In Tunisia(チュニジアの夜)(その4) [2/2]

 インターネットが初めて研究されたのは、'60年代から始まったベトナム戦争の中期の米軍戦略部においてだという、あくまでも“噂”があるが、その武器としての特質を公然とアピールするのが米軍の史上もっとも手ごわい敵かもしれないイスラム過激派・・・こんな皮肉が人間の歴史でくり返されるのは、何も珍しい事ではないと言う人も多いが・・・。

 いつの間にか、そうした血なま臭いニュースや情報に慣れてしまって、あまり新鮮じゃなくなったなあ、などと不謹慎な心情になった頃、「チュニジアの夜」と同様に、ふと懐かしい、すっかり忘れていた曲を思い出した。


 ヒップホップという呼び名がまだ珍しく、日本ではその種のレコードも紹介されていなかった'80年代半ばに、例外的に少し名前の売れていたアフリカ・バンバータ(Afrika Bambatta)の「レネゲイズ・オブ・ファンク(Renegades Of Funk)」('82年)という曲。

当時、ブラック・モズレム、つまりイスラム教徒に転じるアメリカの黒人ヒップホッパーが話題になっていて、ラップ/ヒップホップの草分けアフリカ・バンバータも、その波に乗り遅れまいとイスラム教へ改宗(レネゲイド)したのだろうと勝手に想像し、そうした黒人社会の状況をかなり大雑把にライナーノーツに書いた事を覚えている。


だが、当時は、過激なラッパーとイスラム教への改宗ブームなんて、一般のニュースどころか音楽ニュースにもならなかったので、僕がかなりのイスラム教通で、研究もしている、と誤解されたようだ。

専門誌から、ジャズやヒップホップのイスラム教徒ミュージシャンについての問い合わせがいくつかあった。

これも一連の過激派によるテロ事件の産物か・・・それにしても、レネゲイズ・オブ・ファンク(ファンクの改宗者たち)を久しぶりに聴き直し、ライム(ラップの歌詞)も注意して見てみると、なんとものどかで呑気な内容に思われる・・・当時は過激なラップの極地とまで評されていたのだが。

'60年代末の学生左翼運動等が、いつの間にか幼く見える程、21世紀のイスラム過激派は、世相と世論を変えてしまったのだろう。 少なくとも、過激、という言葉の意味あいを大きく変化させてしまった。


'00年に、とても政治的で過激な(?)メッセージで知られる白人ロック・グループ、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン(Rage Against The Machine)が、その「レネゲイズ・オブ・ファンク」をカヴァーして、ヒットさせた。

あまりに黒人的な曲を、あまりに白人的なグループがカヴァーする・・・過激、という不思議な感触で異人種がつながってしまう、まるでイスラム国のような化学変化の前ぶれだったかもしれない。(次回、番外篇へ続く)