音楽評論家 大伴良則の音楽のまんよう

Night In Tunisia(チュニジアの夜)(その3) [2/2]









 しかし、今年4月の皆既月食の夜は、『ラ・ルーナ』の次のオリジナル・アルバムである『ハレム(Harem)』('03年)が突然頭に浮かび、久々に全曲を聴き直した。

今回の皆既月食が、日本では、ちょうど桜の花が満開の時と合致するという絶妙のタイミングをメディア各界が騒いでいた事もあったのだろう。

それと同時に、年明け前からずっと、イスラム過激派集団が非合法に設立したと称するイスラム国(通称)によるテロ事件の報道を毎日見たり聞いたりしている影響があった事はまちがいない。

『ハレム』は、簡単に言えば、典型的な英国人であり西欧人であるサラが、幼ない時から、異国趣味の最大のものとして持っていたアラブ/イスラム世界への興味を音楽化した作品。

映画『アラビアのロレンス』を観て好奇心を刺激された気持ちは、同じような経験をした僕にもよく解る気がする。

月食の夜に、『ハレム』の後半にあるアレグリ(Alegri)の古いミサ曲「ミゼレ・メイ(Misere Mei)」の変奏曲と、メドレーで、イギリスのユニット、マンダレイ(Mandalay)の曲「ビューティフル(Beautiful)」が脳の中で鳴り渡るのは、ごく自然な事だった。

「ビューティフル」は、文字通り美しい楽曲で、特に間奏で流れるカヌーン(Kanoun:エジプト琴)と、やはりエジプト的というか北アフリカ的というか、こんな奏法があったのか、と驚かされるヴァイオリンのエスニックなプレイは、アルバムがリリースされる4月、つまり日本の桜の季節に憎い程合っていると感じた。

関係者の反対を知りながら、このメドレー曲を第一弾シングル・カット曲に強く推したのは他ならぬ僕だったが、これが2015年春の会議であったら、誰も耳を貸さず、冷笑されただろう。

エジプト琴のソロが、とても日本的で、古(いにしえ)の時、シルクロードを通って、北アフリカから中近東、そして、アジアの果てにまで、互いの音感の交流通商が存在しただろうと今でも思う。

湾岸戦争の名残りはあったものの、12年前の春は、まだ“アラブの春”の風が吹き、呑気で、のんびりとした一時(いっとき)だった。

 かつて、エジプト琴だけではなく、様々な物を駱駝が運び、人も行き来していただろう地に、突然、国とも言えぬ暴力排他主義的な国が出現し、風刺画は許さぬ、西欧ジャーナリズムは許さぬ、批判すれば人質は殺す、といった別の突風が吹き始めた息苦しい春。

夜の天空の月はどう眺めているのか?・・・呑気な時代の傑作『ハレム』は、別の色彩と音感で響くようになってきた。(次回へ続く)