音楽評論家 大伴良則の音楽のまんよう

ゴールデン・リングの中のネナ ① :Neneh Cherry (ネナ・チェリー) [3/3]

後でも述べようと思うが、ネナの父親のドン・チェリー(故人)は、小型のモンキー・トランペットをジャズの世界に持ち込んだ才人だったが、そういう珍しい楽器の達人である事以上に、ジャズの領域を大きく踏み出し、かなり早い時期から、ファンクやアフリカン・ミュージック、その他のワールド&エスニック・ミュージックの要素を取り入れていた先駆者だった事が、今にしてよく解る。


世界中を演奏して周り、気に入った街があるとそこに住みつく“文化放浪人”のような人で、特に、スウェーデンのストックホルムには長く住みつき、アメリカ黒人とは思えない程達者なスウェーデン語を話し、ノーベル賞授賞式に、スウェーデンを代表する音楽家として出席し、あのモンキー・トランペットで演奏した程だ。

ネナも、弟のイーグルアイ・チェリー(なんと本名!鷲のように鋭く澄んだ目をした赤ん坊だ、と自由人の父ドン・チェリーが即座につけた名だ)も、そのストックホルムで生まれている。

そして、ネナは、パンク・ロック・ブームの後のニュー・ウェイヴに興味を持ち、イギリスのブリストルに移り住み、そこで、先ずリップ・リグ&ザ・パニックを結成し、更に、フロードアップCPというグループも作り、それでも満足せず、ソロ・アーティストになる…そのソロ第一弾のアルバムが『Raw Like Sushi(お寿司のように生(なま))』。

この'88年のソロ船出作品から生まれたのが、とても洗練されたヒップホップ・チューン「バッファロー・スタンス」という訳である。

タイトル通りに、アメリカ的ダイナミズムを感じさせてやまないファンキーなリズム曲だが、当時のアメリカからは生まれ得ないイギリスのニュー・ウエイヴの香りもぷんぷんしている洗練された曲で、父親譲りの自由人の奔放さも漂う。

これが、全英だけでなく全米チャートでもNo.1になった時、とても皮肉な意味で自由の国アメリカというものを感じたのだが、ネナはもっと繊細な感覚の音楽家だったと教えられたのは、8年後のアルバム『マン/Man』('96年)、特に「ウーマン/Woman」と「Golden Ring(ゴールデン・リング)」の2曲だった。

この世には、男性と女性しかいなくて、ごく当たり前に、それぞれが異性観を持っているが、ネナのこうした曲を聴いて、その異性観が根本的にくつがえされたり変化したりする経験をしたのである。

(次回へ続く)