音楽評論家 大伴良則の音楽のまんよう

Fame. その37

2019.7.31


                       

                       

 3月の末の病院帰りの夕方。定期の検診で、主治医から「相変わらずロック聴いて、手書きで原稿書いてるの?」と笑いながら聞かれた。

「ペン持って手で書くのは脳にいいからね」と主治医はパチパチパチとキーボードをうち、その日の診断書を書き「お大事にね」。

 つまり…僕の脳の具合はどうなってんの?と少し心配しながらも、電車に乗るとすぐに忘れ、ウチの近所の駅に着く。

そういえば、この近所のホールで、ローリング・ストーンズ展『EXHIBISION』とかいうのをやってたな、せっかくだから観ていこう、と思い、まるで最初で最後の神社、言うなれば "転石神社"を詣でる気になって会場に向かった。

 他人(ひと)の事は言えないが、いい年齢(とし)して、年代もののベルボトムをはき、派手なシャツやハットやスカーフをした怪しい老人男女が、キース・リチャーズがブライアン・ジョーンズの持つギターに憧れて、借金して買ったとかいうギターや、初の全米ツアーのチケットに群がっている。

僕は、懐しの記念物やライヴ・フィルムには、あまり興味がわかず、クリスチャン・ディオールがミック・ジャガーの為にデザインしたドテラ(褞袍)のようなガウンを見て感心していた。

 ふと横を見ると、学生が使うようなノートとホテルの便箋らしき紙がテーブルの上にある。

どうやら「悲しみのアンジー」を作っている時の歌詞のメモと、コード進行のアイデアを記したものらしい。

ミックの、あの歌声や言動に似合わぬ可愛いというか素朴な文字に少なからず驚いた。

 マッシヴ・アタックのロバートにブリストルで会った時にも、彼が軍の放出品の戦闘ジャケットのポケットから、妙に綺麗な白い紙の束(たば)を出した事に驚いたものだ。

 「いつもアートワークに凝ったジャケットを作るね」と言った僕の質問に反応したのか、次のサウンドトラック・アルバムのジャケットのアイデアを教えてやろうという気になったらしい。

あまりに英語での説明が僕に通じないものだから、CDジャケットと同じサイズの紙を取り出し、黒いサインペンで犬の絵を描き、「黒い犬が黒いバックを背にして浮かぶんだ」「それで犬が判別できるの?」「そこがフォーカスポイントさ」と言って、今度は黒ペンで手速く塗りつぶした“黒犬”を、なんとも器用に折り曲げたり引っ張ったりしながら、立体の“紙犬”を作る…「こうすれば、黒い紙の上に黒い犬が浮かび上がる」

 後になって『Danny The Dog(ダニー・ザ・ドッグ)』という同名映画のサントラ盤のジャケット・アートを見た時、ヨダレをたらした狂犬のような黒犬の図が、単なる平面画ではなく、あの時のロバートが、まるで折り紙細工師のように造った犬像を一度写真に撮り、そのうえでデザインしたものだろう、と察して、感心した。