音楽評論家 大伴良則の音楽のまんよう

Fame. その36 [2/2]

 このネズミは、バンクシーが監督したとクレジットされている映画『イクジット・スルー・ザ・ギフトショップ』の中に登場し、その後、世界の街中の幾つかの壁にも描かれている。

この世界の街、というのが、マッシヴ・アタックのライヴ・ツアー先、というのは音楽ファンの間では常識で、東京港の防潮扉のネズミも、マッシヴ・アタック初の東京でのライヴの頃に、3D(スリーディー)ことロバート・デル・ナジャが描いたであろう、と観るのが自然だろう。

 僕が、不思議に感じるのは、これを伝えるTVニュースが、特にコメンテイターや著名美大の教授、美術関係者といった人たちが、音楽と絵の関連関係に全く触れない事だ。

これが、故ジョン・レノンが、赤坂の山王神社横の道に描いた鳩かうさぎの絵だったりすると「オーッ、ラヴ&ピース!」と識者が弁するのだろうが、港町ブリストルあたりの、あまり聞いた事もないトリップ・ヒップホップと妖しいカルト・ロックを演ってるバンドの絵となると、避けて通りたいのが本音なのだろう。

それ以前に、とにかく、美術に音楽が附いてくるなら、品の良いクラシック音楽が必須あるいは妥協のギリギリ、ロックだのファンクだのヒップホップだの下品な大衆音楽なんてシッシッ、といった風潮が、少なくとも日本には根強くある。

それどころか、有名な美術館、あるいはクラシック専門のコンサート会場に、普段の格好のまま行くと、やはりシッシッという視線を浴びる風潮がそれ以前に存在する。

 この垣根主義というか差別区分け主義のようなものは一体何だろうか?

画家で彫刻家で建築家で物理学者で天文学者で文学者であったミケランジェロをどう分割統治しようというのだろうか?

ダ・ヴィンチを多才で片づけていいのだろうか?

 スプレーと型紙で描く悪戯絵も、マッシヴ・アタックの音楽も確かにB級だ。

しかし、木の人形のような者がナイフとフォークを持って古地図のようなナプキンの上に立つアルバムジャケットや、インナースリーヴ(中ジャケット)のハイパーでいてどこかカワイイ感触のアート・ワークはA級である。

12cm四方の折り紙のようで、これでネズミを折り造ったら、どんなに快感だろう。LPはもちろんCDも消えゆく現在、そんな話も飛んでいく風船のカーマコーマ。それについては次で。(次回へ続く)

(今回もタイトルに借用したのは、マッシヴ・アタック1994年の『プロテクション』中の曲名です)