音楽評論家 大伴良則の音楽のまんよう

Fame. その35 [2/2]

バンクシー作品の足跡や内容、その評価などは、『美術手帖』の力作レポート他、現在インターネット上に豊富に載っているので、その参照をお薦めした方がいいと思う。既に、バンクシーの正体が、ブリストル出身のヒップホップ・ユニット、マッシヴ・アタック(Massive Attack)であり、その中心人物の3-D(スリーディー)ことロバート・デル・ナジャである事もつきとめられている。

ただ、ロバート自身の口から"俺がバンクシーだ"との証言を誰も得られないので、大部分判明、といったところか?

なにしろ、イギリスでは特に、壁に勝手に絵を描くのは完全な犯罪であるし、落札されたばかりの高値のついた絵をシュレッダーで切り裂いた美術商や客の敵で犯罪者だから、"ハイ、私です"と簡単に認められるはずもない。

 自慢に聞こえるのは嫌だが、僕のような、イギリスのポップ・シーンのヒップホップやダンス・ミュージック、それとパンクやトリップ・ミュージックやレゲエが結びついたトリップホップを好んで聴いてきた音楽関係者は、とっくに気づいていた、のである。

 マッシヴ・アタックのセカンド・アルバム『プロテクション(Protection)』のライナーノーツを引っ張り出してみると、僕は1994年8月8日にその原稿を書いている。

サウンドや、ゲストの配置、リズムの吸引力などに惹かれている様子は、今も変わらぬ心情だが、その3年前に起こった湾岸戦争のさ中に、当局から"マッシヴ・アタックのアタックを外せ!"と命じられ、レコード会社に説得されて、公式のレコードはMassiveという表記にされたいきさつをレポートしている。

ほとんど、太平洋戦争の中の日本軍の報道検閲のような事を英米でもまだやっているのか…というイラつく気持ちが、僕の文章によく出ている…と改めて今、感じる。

 ちょうどそれは、3-Dことロバートが、反戦反逆をテーマにした「少女と風船」を描き始め、その表現と表現の場所を次々に変えて発表し始めた時だった。(次回へ続く)

(今回タイトルに借用したのは、マッシヴ・アタック1994年の『プロテクション』中の曲名です。)