音楽評論家 大伴良則の音楽のまんよう

Fame. その34 [2/3]

 外川智子の鍵盤と小林圭吾のギターの弦が織りなすThe Notesの音楽は、そうしたブレイン・トリップに誘ってくれるが、The Notesの音楽自体が互いの音楽の交換であり、会話であり、別世界の歩み寄りであったりする。

同じ絵を、違う絵筆を持って右と左から描いていく…当然、色彩も表現も少し異なるものが歩み寄った造形になるが、ひとつになると独得の立体になっている、といった印象だろうか?

音楽評論の世界では、古来から、好んでアンサンブルとか融合といった言葉が使われる。
だが、それはいささか古典的過ぎると思う事が多い。むしろ、音の対峙(たいじ)や対立、互いの再構築、といった方がしっくり来る事もある。

The Notesのふたりが、ほとんど共作しない事への不思議を言う人も多い。しかし、前回の外川へのアートに関するインタビューで、彼女が、短命だったバスキアに代表されるモダン・ビート・アートを好んでもいると語った所で、The Notesの音楽の特異な所に気づいた思いがする。

バスキアが、スプレー・アートを都市の壁に描き始めた頃は、ヒップホップと結びついたグラフィティ・アートと呼ばれていて、ラッパーも兼ねる絵描きが右と左からラップしながら絵を描く、時には四方八方から描く、そして、共感する絵があると後日それに描き加える、ディフォルメする、といった事が普通におこなわれていた。

 The Notesの音楽は、これに似た発想で出来上がっているのではないか、と感じさせる所が多い。 外川、小林ともに、作曲力以上に優れた編曲能力を持った人だが、美術館の音、を名乗るだけあって、その編曲には、楽器以上に、絵筆やスプレーやペインティング・ナイフを感じさせる…というのは、僕の勇み足だろうか?