音楽評論家 大伴良則の音楽のまんよう

Fame. その30 [2/2]

   
   
   

 1967年の夏。ミシガン州デトロイトの、黒人たちが集まるアルジェ・モーテル(注:アルジェはアルジェリアが故郷というスラング(俗語))の中で銃声が聞こえた、という通報に、警察官だけでなく州兵までが出動して激しい捜査が続き、間もなく都市全体に大暴動に拡大。

暴動の主力だった黒人庶民に対する白人警官や州兵による差別暴力の凄さは、学生運動の嵐の中の日本にも伝えられる程だった。

現在のトランプ大統領のもとでは、いつ第二のデトロイト暴動が起こっても不思議ではない、という思いが、社会派才女ビグローの気持ちにあったのだろう。

 '67年当時、演歌の殿堂だったコマ劇場の裏手に『巴里(パリ)』という、当時からレトロな喫茶店があった。無愛想なマスターは天井桟敷の俳優でもあったが、彼の淹れるコーヒーは、特に黒糖を入れた黒糖コーヒーは、現在の上島珈琲店の名物になっているそれより美味しい。

僕はそれをすすりながら、新聞のデトロイト報道記事と漫画ばかり読んでいた。学園紛争のさ中、大学がロックアウトされている事を口実に、マスターが好んで流すモータウン・ソウルやアトランティック・ソウルの曲を聴いて脚を揺すっていた。

しかし、デトロイト名物のモータウン・ソウルの中でも、とりわけ好きだったマーヴィン・ゲイが「ホワッツ・ゴーイン・オン?」を歌っているのを聴いて、一体、デトロイトと我が身に何が起こっているのか、少し不安になり、それでもせっせとヤクザが主役の漫画を読んでいた。

マスターは、店名に因んでの思いか、なぜかお昼12時と夕方5時に、フランス・ギャルの「ジャズ・ア・ゴーゴー」をかけるのである。そして、その後、スライ&ザ・ファミリー・ストーンやマーヴィン・ゲイやマイルス・デイヴィスの“アルジェリアン・ソウル&ファンク”を続けるのだ。

死刑台のエレベーター』を'57年に撮ったルイ・マル監督が、約10年後の'66年に撮ったのが『パリは燃えているか』だった。脚本は、後に『地獄の黙示録』を作るフランシス・コッポラ。

あの時、確かに何かが変わり、「ジャズ・ア・ゴーゴー」は時報で、パリも新宿東京も燃えていたのか?今、ビルの上でゴジラが炎を吐いて時を報せている。(次回へ続く)