音楽評論家 大伴良則の音楽のまんよう

Fame. その20 [2/2]

            

 ベルリン時代のボウイは、いやボウイの音楽活動全般に一貫しているのは、前回Fame19でも述べたが、激しい革命の熱情の表現と、それと表裏一体で在る静かな心情と風景の夢想である。

『デヴィッド・ボウイ展』を観た時、ベルリン時代のボウイが描いた三島由紀夫の絵と、その頃使っていた今では旧式のシンセサイザーSynthi.Aks、それに小さな日本の箏(こと)が連なるように陳列されていた。

この小さな絵や音の器が、あんなに深遠な革命家あるいは独裁者、更に英雄を描く三部作を創っていったのだろうか?

 小さな道具から広大な音楽…細い絵筆から巨大な理想家の短い一生…ボウイの観察眼の深さと鋭さは、空想のようでいて現実そのものを描いていった。

後輩デペッシュ・モードのヴォーカリスト、マーティン・ゴアが、苛立ちを隠さずに歌う「ホエアズ・ザ・レヴォリューション」を、もしボウイが聴く事が出来たら、なんと応答しただろう?

がりなりに革命家ではあった人たちは消え、革命家の名を借りた幼稚な独裁者だけが残る混迷の現在。ただのポップ・ミュージシャンでいようとすればする程、そんな世界を描いてしまった逸脱の才人ボウイを失なってしまい、苛立つのは後輩のマーティンだけではない。(次回へ続く)