音楽評論家 大伴良則の音楽のまんよう

Fame. その19 [2/2]

         

フランシス・コッポラ監督の、あまりにも有名な三部大作『ゴッドファーザー』の『パート2』で、マフィアの二代目を継いだマイケル・コルレオーネ(アル・パチーノが演じた)が、革命直前のキューバを訪れ、当時、キューバの娯楽歓楽を牛耳る狡猾なユダヤ人マフィアとの交渉をするくだりは、僕にとって一番印象的なシーン。

そして、ハバナの街中に出たマイケルの車の前で、革命万歳を訴えるキューバ人を見たマイケルが「この革命はきっと成功する。彼らは、新しい英雄とともに、命を惜しんでいない」という意味の事をつぶやき、キューバから手を引く決意をする…この一連のシーンでの故ニーノ・ロータの音楽は素晴らしい。

彼の生前に、そして、ボウイの生ある内に、両者が共演し、イタリアのムッソリーニ、ドイツのヒトラー、そして、その後のキューバのカストロとゲバラ等、革命家であり独裁者であり、ある意味で恐怖政治の実行者であり、そしてヒーローだった人物の明部と暗部、実像と虚像、真実と嘘、強さと弱さ、正気と狂気といった対比を徹底的に描いたロック/クラシック/その他の音楽のクロスオーバー・ミュージックを創ってくれるのが、音楽ファンとしての僕の夢だった。

その夢は1979年にニーノ・ロータが亡くなり、その直後にFM雑誌『FMレコパル』の五十嵐編集長からの電話で、急の追悼記事を書く事になった夜から、無念残念の思いとして残っている。

既に、ボウイの“ベルリン三部作”と通称されている『ロウ』『ヒーローズ』『ロジャー』の三作を経験していた僕は、ナチス・ドイツを讃じているかのようなボウイの当時のライヴ・ステージへの批判のニュースが沢山飛びこんできた事への惑いと、音楽ジャーナリズムの一辺倒な報道への疑問を感じていた。

果たしてボウイは、そんなに薄く、安っぽい情だけのアーティストだろうか?という思いがあったからである。

彼は常に、物事の表と裏を描き、感じさせる人だと、今でも確信している。(次回へ続く)