音楽評論家 大伴良則の音楽のまんよう

Fame. その17 [2/2]

僕はストーンズの専門家でも研究者でもないが、半世紀以上の大ファンである事は事実。

その僕が、黒人ブルースのカヴァーばかりを、最初お遊びで始め、3日間で録音してしまった新作を評価するとなると…ストーンズのおかげで、黒人ブルースやR&Bやソウル・ミュージックの魅力を知ったし、その恩は再認識したが、このブルース再訪アルバムは、やはり“お遊び”の域を超えない駄作、と言わざるを得ない。

 ただ、ストーンズのこれらの楽しそうなブルース演奏を聴いている内に、ひとつの事を教えられた。

それは、デビッド・ボウイは、少なくとも1960年からずっと続くイギリスのロック・ミュージシャン達の“ブルース・フェティシズム”を絶ち切った最初のロッカーだった、という事である。

 ストーンズを始め、同時代のヤードバーズ、キンクス、その後のレッド・ツェッペリン、ピンク・フロイド、あのビートルズでさえ、バンドを作って世に出る前から、いかにして黒人ブルースを体得し、それに近づき、それを変形させてオリジナリティーを産むか…それがブリティッシュ・ロックの最初の常道であり、いつしか、ブルースという原点を踏まえていなければ邪道あるいは未熟というレベルを貼られてしまう。

つまり、ブルースは本家アメリカの黒人ブルースという特異な音楽から離れて、英国のロックの原要素になってしまったのである。

逆に言えば、英国ロックの王道であり、その後、英国のロッカーにとっては、呪縛、のようになっていく。

ところが、デビッド・ボウイは、その呪縛をいとも簡単に鮮やかにほどいて登場した最初のロッカーだった。

 ストーンズの遊び心が生んだ、この英国伝統の駄作(?)の口直しに、久しぶりにボウイの『ヒーローズ/Heroes』を聴く気になり、ここでまた新たな発見があった。(次回へ続く)