音楽評論家 大伴良則の音楽のまんよう

Fame. その1

2016.03.31

 (前回から続く) もし「フェイム/Fame」という全米シングル・チャートNO.1を初めてマークしたヒット曲が無かったら、デヴィッド・ボウイのアメリカ進出も名声の拡がりも生まれず、只のゲテモノ・ロック・スターとして終わったのではないか、とこの頃改めて思う。

先にアメリカへ渡っていた故ジョン・レノンと、わずか45分程で作り上げたというより、でっちあげた迷曲、いや名曲であるが、1970年半ばのアメリカを中心とするポップ・マーケットの好みを見事に把んだ楽曲で、当時の全国紙(新聞)の芸能ニュースの欄に「さすがに広告代理店に務めていた経験のあるミュージシャンである」という表現があった事を、忘れられない。

 確かにボウイは、ロンドンの広告代理店勤務も可能だったのがうなずけるような言葉や絵柄や、それらの見せ方に、他のロック・ミュージシャンとは全く違う才能を発揮する事が、初期から、少なくなかった。

 彼の出世作といえば、1972年の『Ziggy Stardust(ジギー・スターダスト)』というアルバムと、同名の全英ツアーでのショーだが、広告代理店でデザイナー兼コピーライターを経験した後、パントマイムの大家リンジー・ケンプに師事して無言劇と舞踊を学んだりした事が、ここで一気に花開いたと言われて久しい。

だが、日本では、赤く染めた髪を独特のカットでスタイリングしたヘアー・スタイルと、何よりもお化粧して女装もするというヴィジュアル演出が話題として先行し、ロック・スターというよりゲイ・スターと誤解した報道も多く、残念ながら『ジギー・スターダスト』を真面目に聴く人はまだ少なかったと思う。