音楽評論家 大伴良則の音楽のまんよう

Fame. その1

2016.03.04

 デヴィッド・ボウイ(David Bowie)が亡くなった、というニュースを最初に目にしたのは、1月11日(2016年)の深夜のテレビの、全く関係の無い番組に流れた緊急テロップによってだった。

一応音楽関係者なので、彼が闘病生活をおくっている、それと同時に、新しいアルバムのレコーディングも行なっている、といった情報は耳にしていたが、突然、彼の死亡のニュースが流れるとは全然予想していなかった。

ジョン・レノンが撃たれて死んだニュースを、やはり朝にテレビのニュースで知った時には、ジョンらしい最期だ、とあまり驚きの気持ちを抱かなかったのに、ボウイが病院で息をひきとり、それを家族が静かに見守った、というニュースにはいささか驚き、戸惑った。

俳優としてボウイが主演した映画に『地球に落ちてきた男』('76年)という、僕にとっては名作の作品があるが、あの主人公そのままに、彼は宇宙人であり、普通の地球人のような最期を迎えるというイメージが全く無かったからかもしれない。

 それじゃデヴィッド・ボウイのイメージ造り、メディア操作戦略に乗った典型じゃないか、と言われれば、まさにその通り、否定する気持ちは全く無い。

ものの見事に騙された・・・敢えて、少し気取って言うなら、騙されている事をはっきりと知りながら、騙される快感に酔っていた一(いち)ファンという事になる。

 彼の訃報に接した時、彼のヒット曲の中のあまり有名ではない「Fame(名声)」という曲のタイトルが最初に頭に浮かんだ。

その後のマスコミの報道や取材を観ると、彼の音楽作品で一番知られているのは、ナイル・ロジャースをプロデューサーにすえて放った「レッツ・ダンス」('83年)という事らしいが、それは、アナログ・レコードからCDへと機能が移り換わり、レコードを買う人の年代も拡がった時点での意図的なメガ・ヒット狙いの作品だったと考えれば、不思議はない。