音楽評論家 大伴良則の音楽のまんよう

熱いのは夏のせい … (ビギナーズ : Absolute Beginners) [3/3]

 ところで、映画『Absolute Beginners』は1958年のロンドンの街が舞台。

といっても、バッキンガム宮殿の近辺や、ブランド店が並ぶボンド通りなどは全く出てこない。

現在でも、猥雑でごちゃごちゃした下町のソーホーや、移民の人達が多く住むノッティングヒルが大部分の舞台として描かれるミュージカル仕立ての作品だ。

同じ時代のニューヨークの下町を舞台にした名作『ウエスト・サイド・ストーリー』を多分に意識した設定なのだろう。

アブサルート・ビギナーズ…直訳すれば“絶対的初心者”あるいは“絶対開拓者”というタイトルは、同じ'86年に日本で公開された時、単に『ビギナーズ』という邦題に変えられていた。

日本で、あまり評判にならなかった一因もそこにあるのかもしれない。

イタリアからの移民が多く住むノッティングヒルは、映画の中でナポリと呼ばれていて(今でもそう呼ばれる事が多いらしい)、そのナポリの街でジャズを演奏している黒人は人気者で、ソーホーのクラブで、毎夜、憧れのマイルス・デイヴィスばりの演奏を披露しているのだが…

人種差別の壁にぶち当たったり、恋に悩んだり、やはり憧れのエルヴィス・プレスリーばりに歌おうとするロカビリー族と対立したり…

まあ、興味のない人が観れば、他愛もない回顧趣味の青春娯楽ミュージカル映画だ。

ビギナーズ ビギナーズ ビギナーズ

 しかし、1958年のお正月映画('57年12月公開)だった『嵐を呼ぶ男』で、亡き石原裕次郎演じるジャズ・ドラマーの姿に、子供心に、新鮮なショックを受けた経験を持つ僕は、ああ、やはりあの年、ロンドンでも、ひょっとしたら世界の色んな街でも、まったく同じ事が起きていたんだ、と思ったのである。

それは、簡単に言えば、第二次世界大戦以前に確立していた既成の文化を、とるに足らないと思われていたジャズやロックン・ロールのようなサブ・カルチャーが凌駕する初動の年のある瞬間、間違いなくそれが1958年のある時だった、という事だ。

それゆえに、『ビギナーズ』というのっぺりとした短縮したタイトルはぴんとこない。

絶対的初心者は、所変われど座席変わらず、の映画館のシートの上で、追憶と新しいショックに襲われ、少し汗ばんでいた。

次回へ続く

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