音楽評論家 大伴良則の音楽のまんよう

1969.夏.冬2 :The Road To Woodstock (ウッドストックへの道) [2/3]

結局彼は、新聞社の東京本社には落っこち、しかし、大阪本社には見事難関を突破して受かり、その代わり、既に東京の出版社に就職して勤めていた姉から「遠距離恋愛はとても無理!」と軽く告げられ、彼らの恋はこれまた呆気なく破綻した。

大阪へ移るまでの約10ヶ月、彼は、最後のサブカル学生の時間を楽しむかのように、再び髪を伸ばし始め、毎日のように、名前を聞いた事も無いバンドのライヴや、どこの国の監督かも判らない人の撮った映画へと僕を誘い、それから、きちっと整理されたセーターやジーンズやジャケットの洗い方や手入法を説明しながら、書籍やレコードと一緒に僕にくれた。

体型がほとんど同じ、という都合良さと、音楽の趣味が少し異なり、彼はジャズやフュージョンやインド音楽等のワールド・ミュージック(当時は民族音楽とかエスノと呼んでいた)に傾いていた都合悪さが幸いしたのか、僕のヒッピー風ワードローブは急に増え、音楽の趣味は“雑食系”性向が一層進み…


40年以上たった今、ふと考えると、彼からもらった、キクチタケオが実験的にロンドンで始めたブランドHALF MOONのジーンズをいまだはいているし、マイルス・デイビスの『イン・ア・サイレント・ウェイ』のアナログLPもいまだよく針を乗せる。