音楽評論家 大伴良則の音楽のまんよう

1969.夏.冬1 :The Road To Woodstock (ウッドストックへの道)

2012.10.7

 きっかけは『The Road To Woodstock(ウッドストックへの道)』という一冊の翻訳本だった。

土曜日午後の大阪のFM番組で、ゲストのひとりが、その本を持参し、現在の野外ロック・フェスティヴァルの原点を見つめ直すには最適の裏面史である...と紹介していて、マイクの反対側に居た僕は、発刊されたばかりのその本を手に取った。

ウッドストック・ロック・フェスの企画者で主催者マイケル・ラングに、ホリー・ジョージ・ウォーレンが協力した長編で、当時、つまり1969年当時、ニューヨーク郊外のウッドストックに住んでいたボブ・ディランやザ・バンドに、何故、フェスへの出演依頼をしなかったかとか…20万人を動員するという想定で食事やトイレや医療などの準備は詳細に進められたというその記録とか…

ところが、予測を超えて、3日間の開催期間に50万人もの人が集まり、全ては予想を超える事に向かって行ったという真相語り本。


その辺の大体の事は、映画にも描かれ、夏が来る度に誰かがロック雑誌等にも記述し、出演バンドの記念レコードが再発され、この40余年の間に、正直、うんざりする程目にしてきた。

職業柄、避けられない“ラヴ&ピースの3日間”へのお参りのようなもので、例えば、故ジミ・ヘンドリックスが何を演奏したか、といった詳細を少しづつ忘れていくようになってしまった。

これを老化というのか風化というのか?

The Road To Woodstock(ウッドストックへの道)

 それはともかく、偶然手にした本のクレジットを見ると…こいつは驚いた…翻訳者の室矢憲治を始め、何人かの編集者や構成者が、かつてFM雑誌等で一緒に仕事をした縁ある人達ばかりで、急に、この本が、そして、あの遠き昔のウッドストックが身近に感じられるようになった。

正確に言うと、僕が初めて古本屋で買った1970年代初めのアメリカのロック評論家ポール・ウィリアムズの名著『アウトロー・ブルース』の名訳以来、いくつかの著書やカウンター・カルチャー誌の記事等で、ずっとファンだった室矢憲治の見事な翻訳。

そして、和製ヒッピーの元祖ムロケンと呼ばれ、面識の無い僕でさえ気安くムロケンと呼んでいる鬼才が訳していなければ、例えウッドストックの当事者中の当事者マイケル・ラングが“今だから明かせる事実”を赤裸々に語っていても、そのまま“風化の枝のひとつ”として、消え往ってしまったかもしれない。

書籍とは凄いもので、そういえば、同じ頃に買ったアルベール・カミュの『シジフォスの神話』の初期の版も、ほとんどまともに読んだ事が無いのに、油紙のようなカヴァー紙に包まれて箱入りだったとか、その装丁に最初に触れた記憶がいまだ残っていたりする。

この電子書籍時代、やはり、何かが変わったと改めて感じたのである。