音楽評論家 大伴良則の音楽のまんよう

風吹く砦 (テレンス・トレント・ダービー)

2010.09.06

 テレンス・トレント・ダービー(Terence Trent D'Arby)というアーティストは、その長い名(本名である)のせいもあって、ほとんど忘れられた存在である。

ましてや、ローリング・ストーン誌他で“史上最も長く意味不明なデビュー・アルバム・タイトル”と半ば嘲笑気味に紹介された『Introducing The Hardline According To Terence Trent D'Arby』(1987年)も、全英全米ともにNo.1ヒットとなった「ウィッシング・ウェル」が時々ラジオでかかる程度で、過去の名作といった扱いを受けることもなく、ほぼ忘れられている。

 しかし、僕にとっては、生涯忘れられないアルバムだ。

あまり過去を振り返るのは好きじゃないが、もし出来る事なら、1987年の夏のロンドンに帰り、彼の初の全英ツアーのロンドン公演を観た夜。

リリースしたばかりの孤独感を凝縮したような写真をジャケットにしたかの如きファースト・アルバムを楽屋で本人から手渡された瞬間。

明くる日、じっくりと音楽やその他の事について話してくれたインタビューの時。

東京に帰って、なんとかいい文章を書いて、この天才を紹介する事に尽力しなければ、と何時間も集中してライナー・ノーツを執筆した8月の夜。

そうした時間を、もう一度、記録映画を観るように味わってみたいとさえ思ったりする。


テレンス・トレント・ダービーのイメージ2